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大航海時代の始まりとともに、ダイヤモンドの流通は活発になっていったわけですけども、綺麗なものの陰には争いや謀略、暴力、武力の数々、残念ながらこのようなことは避けられるものではありませんね。 アントワープのダイヤモンド事業はそのような権力、覇権の争いに巻き込まれてゆくのでありますが、アントワープ内部においても色々な問題が起こり、ダイヤモンド事業の衰退が始まるのでした。 まず、アントワープややその勢力圏内にいてはギルドによる規制が厳しくて、なかなか仕事が回ってこない労働者、技術的にはそこそこ使えるもののギルドメンバーになれるほどの技量を持たない者たちが次々にAntwerpから新天地を目指し、多くはAmsterdamへと向かい、そこで、スペインやポルトガルの圧政から逃れてきたユダヤ人と結託することになります。 おおっ、やっとユダヤ人が登場。 アムステルダムのダイヤ研磨労働者の賃金は、Antwerpよりもかなり安いものでしたので、それを利用したアムステルダムのユダヤ人コミュニティー自身も大きく成長して行ったのです。 このようなことから、また、オランダのアジアへの大掛かりな進出により、AntwerpとAmsterdamのダイヤビジネスはこれより別の道を歩むことになります。 17世紀、オランダの海軍と商船隊はポルトガルとの戦いに勝ち、ヨーロッパの覇権を奪取。多くの船乗りが『大洋航行経験者』の称号を得て、アジア貿易とダイヤ原石を含む重要な商品の物流はますますオランダ人の手に握られることになりました。 約80年の間、オランダ人はダイヤ原石の分配権を持ち、高品質のものはアムステルダムで研磨されることになったので、Antwerpの没落はもはやどうしようもない局面へと向かうことになったのでした。 この時期には、30年戦争(1618〜1648)が起こり、ドイツ全土に凄まじい荒廃をもたらし、中部ヨーロッパの中心であったフランクフルトのダイヤモンド市場もほとんど停止状態へと追い込まれてしまいます。ポルトガルもまた、オランダに敗れたあと国力の回復もままならず、オランダの栄光の時代が到来したのでした。 ダイヤモンドの取り引き自体は、たとえそれらがオランダの大商人たちにガッチリと握られていたにしろ、17世紀全般を通して大きく進展したと言えます。リスクということを考えた場合、この頃のビジネスが一番ハイリスクであったのかもしれないし、そのリスクに見合うハイリターンだったのかもしれませんね。興味深いストーリーがいくつか残っております。 1631年、同時代をを代表するような商人の1人であるFerdinand de Grooteはリスボンから7.76crtsのダイヤを顧客に発送したのでありますが、イタリアで行方が分からなくなり、ついに裁判沙汰となったというような事件が起こっております。 下の画像をご覧下さい。 |
皇帝に見合うような宝石類です、半端なものやおまへんな、総額ナンボやったのか全く想像もつきません。 ここで少し話が逸れますが、王族が関連する宝石スキャンダルということで思い出されるのが、 このスキャンダルは、その真偽とは別に王室に対する民衆の怒りを爆発させる一因となり、フランス革命の導火線となった、ちゅうことですからねえ、 さて、国民の窮状をよそに贅沢三昧し放題だったルイ16世と王妃がギロチンにかけられたことで、“首飾り”の方は使われようもあったわけですけども、 事件の後、ルパンならぬ大盗賊の面が割れ、似顔絵がヨーロッパの主要都市に貼りだされることになり、捜査は進展します。 本題に戻らないといけませんな、 う〜m、バブルの頃を思い出しますなあ、 かのルイ14世は、ダイヤで丁寧に仕上げられたクラスプを靴に取り付けていたそうですな。ヨーロッパ王家のプリンスたちの儀式における武具ね、これも絢爛豪華、小林幸子も真っ青! このプリンス達の甲冑は“ダイヤモンド鉱山”と称されたそうですからね、どれほどのダイヤを鎧や兜に取り付けていたのやら・・・もう想像を絶するばかりです。 |
(キンピカ武具の飾り) |
この頃のダイヤモンド研磨の技術的な進歩として特筆しないといけないことは、やはりBrilliantの登場でしょう。 |
18世紀になりますと、ブラジルでダイヤ鉱脈が発見されます。 18世紀後半になってもAntwerpには大した活況はなかったのですが、ちょっとしたイベントが飛び込んでまいりました。 このようにAntwerpは、良質の職人集団を持ちながら、英蘭に品質の高いものや大きな原石を独占されていたため、18世紀後半には小粒ダイヤの研磨に特化していたのですが、このことがようやく陽の目を見ることになります。 |
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