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戦国時代というと応仁の乱から下克上の時代へと続く日本のことかと感じられますが、そうではありません、舞台はもちろんヨーロッパ。 15世紀、欧州は100年戦争(1337〜1453)でメチャクチャなことになっておりました。こんな折に何がダイヤじゃ! と思うかもしれませんけども、電子マネーがない時代ですから、やはり金(ゴールド)と宝石は戦う者にとって絶大の信頼感ですな。 そして、日本の戦国時代を考えてみると良く解るように、戦争というのは必ずしも悪い面ばかりじゃない。信長や秀吉が大いに成功を収めたのは、古い因習や規制をとことん撤廃したことと新しい技術の積極的導入、そして貨幣経済の発展を促したことにより、富を集中させるシステムを作り上げたことによりますね。 さて、15世紀の中頃ようやく百年戦争が終結しまして、いっそう物流が活発化してまいります。このころヨーロッパ一華やかな宮廷生活を送っていたのは、フランス北部からベルギー・オランダの支配者、ブルゴーニュ公・シャルルなんですが、彼の贅沢をささえていたのがベルギーのブルージュ(出張レポート2004年4月号参照)でございました。 このシャルルによって贅沢品の需要は莫大な額になってゆきました。 余談ですが、中世のダイヤモンド研磨は角形がほとんどで、ラウンドへと進化するのはもっと先のこと。ですから、Berekemの貰ったという工賃の額があまりにも莫大ということもあり、彼の存在自体も単に伝説ではないのかと疑われているとか。 しかしながら、ブルージュ ― ベニスというホットラインが形成されていたのは間違いのない事実で、ブルージュ市当局1465年の公文書には、ダイヤモンド研磨職人の記述が出てきております。 下の文書、 |
ところがですな、盛者必衰、 百年戦争は1453年に終結しましたが、イギリス側からのフランス領侵犯は1475年まで続きます。百年戦争勃発以来、王家の血筋などの関係で常に英国側につき、フランスと戦ったブルゴーニュ公国。シャルルの代になってますます発展しますが、1476年、彼は領土拡大のための遠征に失敗、2度の戦いに連敗して国を疲弊させてしまいます。そしてついにNancyの戦い(1477年)でシャルルは戦死、ブルゴーニュはフランスに併合されることになってしまいました。 Charles the Boldと呼ばれ勇敢かつ派手好み、日本語では“シャルル大胆王”と訳されるブルゴーニュ公シャルル、何故かホンマ信長的でんな。 さて、歴史にifはつきものですが、 シャルルの死とブルゴーニュ公国の滅亡により、フランドル地方(ベルギー)とネーデルランド地方(オランダ)は大きな自由を手に入れます。特にネーデルランドは、ほぼ自治権を獲得、のちにレンブラントが描いたような自警団でもって都市を守るような自治都市が多数誕生するのです。 シャルルとその子孫が健在だったらAntwerpの発展はなかった!? 確かに、ブルゴーニュ公国の滅亡でブルージュの栄えも風前の灯と見たイタリア・ベニス商人たち。沈みゆく船から逃れる如く、彼らは早々に西ヨーロッパの拠点をアントワープへと移し替えてゆきます。 ブルージュに代わってアントワープが注目され発展する定めにあったのは、その海運・水運の良さによります。大河を利した天然の良港が既にあったからということなんですな。 『アントワープ居住者並びにアントワープへの旅行者は、次の取引をするべからず。 1、 造のダイヤモンド、ルビー、エメラルド、サファイアを取引すること。 これらの不正を犯した者には、その程度に関係なく、25ダカットの罰金を科す。 そして1498年、 |
いきなりアントワープか? 大阪市とそのすぐ南の堺市の境界となっている大和川、昔から現在のような流れで大阪湾に注がれていたのではございません、江戸・元禄期を過ぎた頃くらいまで大和川は淀川の大きな支流のひとつとして今の東大阪市あたりを流れ、雨季になると毎年のように氾濫を繰り返し、付近の農民に大きな被害を与えていたのでした。もちろん毎年のように治水工事を行ってはおりましたがラチ開かず、ついに幕府は大規模土木工事、川の付け替えという決断をします。大和川は完全に淀川から切り離されて流れを変えられ、堺のあたりで海へ落とし込まれたのでありました。 ブルージュの衰退とアントワープの興隆という事実を決定的にしたのは、ブルージュ市内を流れる交通の大動脈Zwin川の悲劇、どんなことが起こったのかは定かではございませんけども、川に土砂が沈泥してしまって小船しか航行できなくなったということなんですなあ。 |
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