◆ 現地買い付けレポート 2005年11月 Page: 1 2 3


今年の11月初旬、アントワープは50年ぶりの暖冬だったそうで、またまた地球温暖化が多くの人の心配のタネになったそうだが、ここにきてようやく本格的な冬の訪れだ。なにせ空がねえ、雲の動きが速いものだから時おり薄日も差すけれども、おおむねどんより、冬期の買い付けはこれに滅入ってしまう。
その分、よく仕事できる?
そうですね、
ダイヤの買付け、特にカラーダイヤは、薄暗いところでデスクの上のライトを頼りにチェックした方がグレードの見間違いが少ないように思う。そのようなライティングではとても一般消費者の方には買ってもらえないと思うけれども。

今回の市場の話はないのか?

時にな〜し。
少々おもしろい商品もございます、HP更新とYahooオークションにご期待下さい。
それよりも、
もう少しこの20年を懐かしんで、語りたいのであ〜る。当時の写真を引っ張り出してね。


若きウッキーに対してあまり視線を向けないでほしいね、20代にしてこのフヤけた顔と体、昔日の高校球児の面影などこれっぽっちも感じさせてくれません、ああ、情けなや。

お隣に座っておられるのは、当時取り引きのあった事務所の社長、J・A氏。ウッキーはこの事務所でダイヤ買い付けをマスターしたのである、懐かしや。
このJ・A氏、このころの日本人バイヤーで彼のことを知らないのはモグリだと言われたほど有名なお方なのでした(過去形)。
そう、人間、悪い時ばかりではないように、良い時ばかりではございませんね、平家物語の『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。・・・』という有名な一節を出すまでもなく、盛者は必衰、それが世のならい。

J・A氏とウッキー

J・A氏とウッキー

このJA氏(何かまるで農協みたいだが、本人はドレッシーなヨーロピアンだ)のことをもう少し詳しく説明すると、
ご覧の通りのアシュケナジー(東欧系)ユダヤ人、イスラエル人の過半数を占めるスファラディー(中近東系)ユダヤ人とは顔立ちがまるで違いますな。Sファミリーも含まれますが、このアシュケナジーユダヤ人の特徴は、とにかく語学に優れ、数字に明るいこと。いわゆる賢い、ということに他なりまへん。どちらもダメなウッキーは奴らの前では、さしずめアホの代表選手ちゅうわけか、ガ〜ン!
ユダヤ人の優秀さはとても書ききれないが、日頃トロいとバカにしているSでさえやる時はやる、アメリカへ電話しているのを聞いて見直したこともあったし、Priceの1.5%アップや2.5%アップというのも電卓に頼らず暗算でパッと言ってくれたりする。Sでさえこんな感じですから(Sよスマン、次回はワシが夕メシ奢るから)、写真の農協氏、いや失礼、JA氏の賢さなんてそりゃ凄かった。普通に喋れる言語は恐らく10ヶ国語、あとから思うにどうやらわざと隠していたみたいだが、日本語も結構理解していた節がある。
JA氏にどうやってそんなに多くの語学をマスター出来るのかと聞いたら、
『特別なことは何もない。例えば英語は、中学の時にラジオ講座で勉強したら約3ヶ月でほぼマスターできた』
とのこと。
もうホンマ、やっとれんわーーー!
わしが中学の時からやった英語の勉強は一体何やったんやーーーーーーー!

しかしながら、JA氏の本当に凄かったところは、前述のブローカービジネスを確立したところ。もちろんブローカーというものは有史以来存在する職業なのでしょうから、意味するところは、JA氏がそれに改良を加えてダイヤモンドの業界に合うようなシステムにし浸透させたということなんですけども。

具体的には彼はどうしたのか?

貧しい家に生まれたJA氏、一攫千金を求めてダイヤモンドの街で働き始めます。最初はそれこそ運び屋みたいなことをやっていたのでしょうけども、その頭の良さが親分(オーナー)から認められたのでしょう、マネジャー的な仕事を任せられるようになり、世界各国を仕入れやら販売で飛び歩き、アントワープのダイヤモンド街で顔を売り、ついには独立して事務所を持ったのが1970年代後半のこと。
長くマーケットを冷静に見てきた彼は、事務所を持っても在庫は持つべきではないという確信めいたものがあったようで、それが正しかったことは1980年代初頭のダイヤ価格暴落で証明されるわけですけども、それなら如何にして商いしてゼニを儲けるのか?!
自らの信用でもってバイヤーとブローカーを事務所に呼び、目の前で商売させて手数料を取るということですな。言ってしまえば簡単な事ながら、そこまで実績を積み上げていたJA氏はホンマ凄い。

JA氏登場前のダイヤモンド街がどのように商売を行っていたのかと言うと、
原石を研磨して販売する業者(メーカー)、
メーカーから磨り上がった裸石を買っていろんなところに売るディーラー、
メーカーやディーラーから商品を買ってバイヤーに売る輸出業者、
という3つにハッキリと色分けされていて、その3社の間を仲立ちするのがブローカーであったというわけ。もちろんメーカーやディーラーもバイヤーの相手はしたけども、彼らがより大きな利益を求めてバイヤー顧客と積極的にコンタクトを取り始めるのは後の事である。だから、バイヤーはAntwerpに来ると、いろんな輸出業者のところを回って自分の欲する物を探し、輸出業者はバイヤーが来るのに合わせて商品をメーカーやらディーラーから仕入れたり借りたりして準備していたのである。
多品種を安く仕入れるということを考えるとこれはあまり機能的な方法とは言えまへんな。
JA氏の工夫により、バイヤーと市場は大きな恩恵を受けることになった。
すなわち、バイヤーは、設備の整ったJA氏の事務所の一室を常用できるから、毎回同じ光のコンディションで買い付けできるし、いろんなブローカーを呼んでもらえるから自ら歩いていろんな事務所のドアをいちいちノックする必要もないし、ヘンな奴に引っかかる心配も無い。買い付けた商品はまとめてJA氏の事務所から発送してくれるから、受け取りや送金もまとめて1度で済むから簡便。取引業者にすれば、売買の形式としてはJA氏に納品するわけだから、これまた安心。ブローカーにしても、呼ばれている呼ばれていないに関係なくJA氏のところには必ずバイヤーがいるから商売できる可能性が高いというメリットがある。
こんなようなことで、JA氏の事務所はまさに門前市を成すの賑わい、常に日本人バイヤーが複数以上座っていて、それに群がる多数のブローカーたちという図式、ホント凄かった。
1980年代はまさにJA氏の時代であったわけです。

写真で見て良くお分かりのように、ウッキーとJA氏の格の違いは残酷なばかりやね。実のところ、20年前のこの時から定期的なウッキーのAntwerp&JA氏詣でがスタートするわけですが、最初の2,3年はロクに話もしてもらえまへんでしたな。彼と二人だけで食事に行ったりgolfに行くようになったのは(ヘンな表現やね、二人とも別におかしな趣味はおまへんので、念のため)1989年頃かなあ、JA氏に誘われてウキ氏は『ようやくワシもバイヤーやな』と思ったものでしたねえ。

Sが全然出て来ないではないか、って?
Sとも20年前に会っております。JA氏の事務所があるビルの出入り口に人待ち顔で立っている漫画チックな奴・・・。全く失礼なことに、ウッキーはそれまで会ったことのないSの顔を見て笑ってしまったのでした、何故か?
今でもあるのかな?大阪人なら誰でも知っている道頓堀“くいだおれ”の人形にそっくりだったから!(Sよスマン、夕メシ2回奢るわ)

Sとの最初のマザールは2回目の出張の時だったと思う。
結局、確か安モノの0.3crtサイズを30個ほど買ったと思うけども、SはウッキーのOfferを持って帰ったままなかなか戻ってこない、Offerは『約40個のロットのものを75%セレクションして、$500/crt』とかいうものだった。夕方6時過ぎになってようやく現れたSはウッキーに、

Sとウッキー

Sとウッキー
『OK、マザール』と言ったあと続けて、
『オレ、早いとこ金庫に商品入れなアカンから、急いでセレクションやれや』
ですと。
どう思いますこの言葉。
ずっと待たせた相手にSorryの一言もなく逆にこれやからね、
もう呆れたの何の!

人間の付き合いってホンマ不思議ですな、皆さんも多分そうでしょうが、最初の頃の印象が悪い相手ほど長い付き合いをしているというのはよくあるケース。
でも、当時はこんな奴と20年付き合うことになるとは全く夢にも思えなかったなあ。
これから数年後、
ウッキーは完全にS事務所に座り込むバイヤーになったのでありました。

さてJA氏、
しこたま貯め込んだはずやけども、1990年代に入って何か別の商品に投資して失敗したようで、事務所も閉鎖、年に1,2度ダイヤモンド街でチラリと見かけることはあっても、人の噂にも登らなくなってしまってね。
人の生き様いろいろだけど、JA氏のように極端なのも珍しいのではないかと思いますな。
ああ、栄枯盛衰。
しかしね、滅んでもええから(ホンマか?)1度ゼニを金庫に積み上げたい!!

  −続くー

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2005.07 Cut & Polished in Belgium
2005.04 ルフトハンザで出国
2005.02 オリーブの漬物
2004.11 ベルギーの初冬
2004.9 上手なブラフの使い方?
2004.8 2004アジアカップ
2004.4 ゴールデンウィーク に オランダ を想う・・・。
2003.11 Believe me!
2003.7 Vacances!
2003.5 日本とベルギーの規範
2003.3 ベルギー名物と言えば
2002.9 空港のネーミングについて
2002.5 ワールドカップ
2002.3 ひな祭り
2002.2 ユーロとトラブル
2001.12 プリンセス雑感
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2000.2 天然の物が相手になるがゆえのつらさ、というのが常にある。
1999.12 私はダイアモンド業界ではゴルフの世界の尾崎みたいなものだ、といって自己紹介することにしている・・・