◆ 現地買い付けレポート 2005年11月 Page: 1 2 3
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今年の11月初旬、アントワープは50年ぶりの暖冬だったそうで、またまた地球温暖化が多くの人の心配のタネになったそうだが、ここにきてようやく本格的な冬の訪れだ。なにせ空がねえ、雲の動きが速いものだから時おり薄日も差すけれども、おおむねどんより、冬期の買い付けはこれに滅入ってしまう。 今回の市場の話はないのか? 時にな〜し。 |
若きウッキーに対してあまり視線を向けないでほしいね、20代にしてこのフヤけた顔と体、昔日の高校球児の面影などこれっぽっちも感じさせてくれません、ああ、情けなや。 お隣に座っておられるのは、当時取り引きのあった事務所の社長、J・A氏。ウッキーはこの事務所でダイヤ買い付けをマスターしたのである、懐かしや。 |
J・A氏とウッキー |
このJA氏(何かまるで農協みたいだが、本人はドレッシーなヨーロピアンだ)のことをもう少し詳しく説明すると、 しかしながら、JA氏の本当に凄かったところは、前述のブローカービジネスを確立したところ。もちろんブローカーというものは有史以来存在する職業なのでしょうから、意味するところは、JA氏がそれに改良を加えてダイヤモンドの業界に合うようなシステムにし浸透させたということなんですけども。 具体的には彼はどうしたのか? 貧しい家に生まれたJA氏、一攫千金を求めてダイヤモンドの街で働き始めます。最初はそれこそ運び屋みたいなことをやっていたのでしょうけども、その頭の良さが親分(オーナー)から認められたのでしょう、マネジャー的な仕事を任せられるようになり、世界各国を仕入れやら販売で飛び歩き、アントワープのダイヤモンド街で顔を売り、ついには独立して事務所を持ったのが1970年代後半のこと。 JA氏登場前のダイヤモンド街がどのように商売を行っていたのかと言うと、 写真で見て良くお分かりのように、ウッキーとJA氏の格の違いは残酷なばかりやね。実のところ、20年前のこの時から定期的なウッキーのAntwerp&JA氏詣でがスタートするわけですが、最初の2,3年はロクに話もしてもらえまへんでしたな。彼と二人だけで食事に行ったりgolfに行くようになったのは(ヘンな表現やね、二人とも別におかしな趣味はおまへんので、念のため)1989年頃かなあ、JA氏に誘われてウキ氏は『ようやくワシもバイヤーやな』と思ったものでしたねえ。 Sが全然出て来ないではないか、って? | ||
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◆ Back Number ◆ | |
2005.07 | Cut & Polished in Belgium |
2005.04 | ルフトハンザで出国 |
2005.02 | オリーブの漬物 |
2004.11 | ベルギーの初冬 |
2004.9 | 上手なブラフの使い方? |
2004.8 | 2004アジアカップ |
2004.4 | ゴールデンウィーク に オランダ を想う・・・。 |
2003.11 | Believe me! |
2003.7 | Vacances! |
2003.5 | 日本とベルギーの規範 |
2003.3 | ベルギー名物と言えば |
2002.9 | 空港のネーミングについて |
2002.5 | ワールドカップ |
2002.3 | ひな祭り |
2002.2 | ユーロとトラブル |
2001.12 | プリンセス雑感 |
2001.11 | ニューヨークの思い出 |
2001.9 | 不景気とは |
2001.7 | 女子テニスプレーヤーというのは宝石だらけで戦っている・・・。 |
2000.4 | ファンシーカットの好みは各国でかなり違うようだ・・・。 |
2000.2 | 天然の物が相手になるがゆえのつらさ、というのが常にある。 |
1999.12 | 私はダイアモンド業界ではゴルフの世界の尾崎みたいなものだ、といって自己紹介することにしている・・・ |