◆ ベルギー カラーダイヤモンド買い付けレポート 2002年2月

2002年1月、
欧州統合の第2ステップと言うべきユーロの流通開始。

紙幣のデザインは"なんやこれ"という感じの地味な物。12カ国のものであるから特定の人物や建物などを図柄に使えないためらしい。
コインは8種類、だが実際は、96種類あるという。表は同じだけど裏面は12カ国それぞれのデザインがなされているからだそうだ。私が初めて手にしたのはオランダ製、実にきれいだしそれなりの重みもある。両替所でおもわず、
『Beautiful、 isn't it ! 』などと口走ってしまう。
窓口のおねえさんの反応はまるで素っ気無いものだったけど。

早速に紙幣、コインを使ってみた、これは便利、Good Ideaと確信。
欧州各国は言うまでもなく地続きである。鉄道や道路も国境で途切れる事はない。ベルギーなどの小国は言うに及ばず、独仏など比較的面積の大きい国の人々も知らぬ間にボーダーを越えているということもしばしばだと言う。我々日本人もひとたび欧州に旅立てば1カ国滞在ではまず済まない、最低2カ国3カ国を巡るのが普通であろう。そんな時のため、私はこれまでドルを必ず持ち歩いていたのであるが(言うまでもなくトランプのジョーカーのようなもの、オールマイティーである)それも不要になりそうだ。

円安の折、帰国したらすぐに手持ちのドルを円に戻そうと決意する。数年前100ドルが8000円ほどにしかならなかったのに今や1万3000円である。なんかとても得した気分であるがこれはプライベートな話、商売では、ホンマえらいこっちゃ、なのだ。この1ドル130円を越える為替レートでは買えないアイテムがますます増えてしまう。もちろん何でも値段が折り合えば売ってくれるのだけど、このデフレ下、日本にもって帰って利益を出して販売するのは難しいと思われるものがホント多くなってしまった。
いやいや、ユーロの話をしていたのだった、
日本で通貨単位を変え新しい通貨を発行するというデノミの話は定期的に出たり引っ込んだりだけども、この案が出るたび主たる反対意見は物価上昇、インフレを招くというものであった。それからするとこのユーロ流通はとてもよいモデルケースになるに違いない、そう考え複数のベルギー人に聞いてみた。
返ってきた答えは'否'。全員が明らかに以前よりも物価に割安感を感じると言っている。なぜなのか、イマイチ説得力に欠ける説明が多かったのであるが感じているのだからそれはそれで仕方がない、実際そうなのであろう。
日本のエコノミスト諸君、君たちホンマ勉強不足や。
だけどもこれ以上日本で物価下落が続くのはちょっと問題である。
日本の新通貨は当分なさそうやな。

ユーロコイン(表)
ユーロコイン(裏)
勢い込んで来た本年初の買い付け、
であるが出だしからトラブルに巻き込まれた、なに、たいしたことやない。
アムステルダムからアントワープへのフライトが濃い霧のため欠航になってしまったのである。いやホントにすごい霧だった。通常『Cabin Crew,Take Your Seats(客室乗務員は座席についてください)』の機長のアナウンスがあるころにはもうすっかり下界が見え空港の直ぐそばの雰囲気が感じられるのであるが、まるで雲の中みたいな時からすでにその指示が出てるし車輪を出す音が聞こえている。えっ、という瞬間にはすでに着陸の衝撃を感じていたのだった。空港ビル内に移動して乗ってきたジャンボを振り返って見てみれば半分靄の中に隠れているではないか。改めて大陸の気候の恐ろしさを感じてしまった。

このジャンボ、パイロットが寝ていても行き先がコンピューターにInputされていて自動操縦になっておれば着陸までもが可能という恐るべき性能だそうだ。霧であろうが真っ暗闇であろうが晴天時と同じということになる。でも、残念ながらここからアントワープまでは30人乗りのプロペラ機、飛んでくれると言ってもお断りしたいですな。

ってなことで、私は電車でもってベルギーまで行かなくてはならなくなってしまったのだ。
大したトラブルではないにしろ、スーツケースを転がしていかねばならない、もうメンドクサクて仕方がないし慣れない異国での電車移動、できたら避けたかった。
でも、珍しく旅の道連れが一人。
私の大好きな"ブランドバッグ類"、のバイヤーであるN氏。
まだ20代、甘いマスクとスリムでそこそこの身長、商売柄服装のセンスは悪いわけがなく、まるで私の若い頃そっくり・・・(かなりのブーイングが予想されるが紙面の都合でこのまま続行)、
オッサンなんでそんな異人種と知り合いになったのか、って。

空港でスーツケースが出てくるまで約1時間もかかり、我々はホントいらいらしながら待っていたのであるが、30分もたつ頃になるともういい加減ウンザリして私はSに電話しに行ったり、ユーロの両替に行ったり、はたまたKLMのカウンターへ行って、
『こら、おんどれら、いつまで待たせる気じゃ、エエかげんにさらせ、アホ』と怒鳴ってみたり大変だったのであるが、
その間N氏は辛抱強く待ち続け、荷物がついに出てくるとKLMのカウンターでわめいていた私に声を掛けてくれたのである、
『オッサン、いつまでわめいとるんじゃ、今出てきたの、アレちゃうんかい。はよ取りに行きさらせ。』− なんて言うわけない、
『いま出てきたスーツケース、多分そうやないですか、はよ行かはったほうが・・・』と
親切に言ってくれた。同じフライトで大阪から飛んできたというものの、言葉を交わしたのはもちろんこれが初めて。N氏が何故私のスーツケースと判ったのか、未だに不明だが、
恐らく、目印に貼ってある虎のマークが効いたのだろう。
かくしてバイヤー二人の珍道中である。

多分今までラッキーだったのであろう、アムステルダムからフライトキャンセルで仕方なく電車、というのはこれまでなかった。30歳前後の頃はアントワープに来ると時々週末を利用してはあちらこちらと電車の旅をしたのであるが、逆に今回その経験が災いすることとなった。しっかりと確かめもせず大体の感じで乗ってしまい、いっとき逆走。順調に行けば約1時間半のところを3時間半も掛かってしまった。おまけに電車内でまた小さなトラブル・・・、
欧州の鉄道は、ご存知の方も多いと思うが、日本のように改札はないし駅員も心なしか少ない。2、3駅なら無賃乗車などやりたい放題だ。時折廻ってくる車掌の検札さえクリアーすればどこまでも、、という感じである。
KLMのカウンター嬢の説明では、フライトキャンセルの場合はKLMの責任、支払いによるホテル宿泊(翌日のフライトが約束される)か鉄道の利用、どちらか選択できるということであった。鉄道の乗車券を、というと飛行機の搭乗券で行けるという回答。

ところがである、巡回の女車掌にそれを説明しながらKLMの搭乗券を見せると、
『何を言ってんの、これは鉄道、別にお金がいるの』などと言う。こいつひょっとしたらわしの由緒正しいEnglishが理解でけへんのか、などと思いながら、
『そやから、フライトがキャンセルになって・・・、KLMのカウンターで聞いたら・・』
と繰り返し言うが、全くダメ、聞く耳持たずである。もう今日はいろいろあってうんざり。あきらめて先ほどはじめて手にしたばかりのユーロで払ったが、つり銭の細かいのがない、コインはないの、などと言う。いやない、と返事すると今度は怒り出す始末。
ホンマあいつ等わしらを舐めとるで。
N氏ともこの後話し合ったけど、多分電車のチケット売り場で飛行機の搭乗券と乗車券を交換するシステムであったのだろう、でも誰もそんなこと言ってはくれなかった。常識、と言われたらそれまでだけど我々は異国の人間である、ましてやトラブルに遭っているのである。白人たちの"地(じ)"を見たような気がした。

日本、そして日本人は外国人に対して本当に親切である。何年か前、大阪から京都に行くJR快速電車内でのこと、近くに座っていた白人の若い女が隣の席のおばちゃんに何か聞いている。どうやら神戸の方へ行きたかったらしい、しかも時間にあまり余裕がなさそうな感じである。周りのみんなでどうすればよいか一緒になって考えてあげ、ややパニック状態であった彼女をなんとかリラックスさせてあげた(ちなみに私は傍観者であった)。
こんなことは日本中至る所で見られる日常的な光景であろう。
(最近、このような日本人の親切心につけこんだ外国人の犯罪が増えている。まったく許せない事だ、そんな奴等は強制送還では手ぬるい、重りをつけて太平洋に沈めろ。)
しかるに欧州の人間はだいたいにおいてアジア人を舐めている、基本的に我々には不親切。
普段はわからないけど、こちらが彼等のルールに乗ってちゃんとやってる内はスマイルを見せているけど、少し何かあるともう途端に本来の胸のうち(地)がでるのである。

かつて、F1ドライバーだった片山右京が言っていた。
『我々日本人はF1に参加させてもらってる、というのを忘れてはいけない・・・』
彼はかつて"カミカゼ右京"などと言われF1昇格前からヨーロッパでは結構有名で英仏の2ヶ国語に堪能である。その彼が言ったこの言葉には実感がこもっているし、これほど日本と欧州の関係を端的に言い表した言葉もないであろう、と言う気がする。
皆さん、ホンマに気をつけてください。
ヨーロッパ人がスマイルで日本人に近づいてくる時にはほぼ親切ごかし、裏には絶対何かがある。やつらの基本的なスタンスは15世紀から変わっていない。白人の、白人による、白人のための世界のルール、なのである。
彼等の行動規範であるキリスト教を博愛だの自由だの平等だの、というイメージで捉えている日本人女性が圧倒的であるが、それは白人の間だけの博愛、自由、平等なのである。我々異人種には全く適用されない、
その点しかと理解してないとヨーロッパでとんでもない目に遭うか、良くて失望するかである。
しつこく言うが、
16世紀、日本に多くの宣教師が訪れ、フランシスコ・ザビエルという方がいちばん有名ですな(今でもハゲを見ると、オッ、ザビエルや、などと使われる)、教科書では彼らの来訪を"伝道(ミッション)"と言っているがとんでもない話だ。ミッションはミッションでも"ミッションインポッシブル"のミッションである。彼等は植民地獲得のための先兵、先乗りのスパイだったのだ。その後の歴史をみれば一目瞭然、日本以外のアジアはほとんどが白人によって刈り取られている。日本がそうならなかったのは信長、秀吉、そして
家康から続く徳川15代、これらのスーパー軍事政権が抑止力として働いたからである。
ローマ法王が、当時の2大国スペインとポルトガルに対し、世界地図の上に一本線を引き、こっちが君や、あっちがあんたや、と指示したことは有名だ。
日教組のバカ教師どもはこんな事も知らない、ザビエルと言えば平和の使者と教えている。
ちょっと横道にそれるのをお許しいただきたい。
小6の娘から社会科の授業について聞かされるたび私は暗澹たる気持ちになる。
ザビエルのことなどまだホンの序の口である。江戸時代を暗黒時代と教え、倹約令を出し当時の日本経済を大不況のどん底に落とした松平定信は立派な改革者であると教える。
20世紀の壮大な実験であった社会主義、共産主義の失敗は当然割愛、極めつけは
『あなたたちは憲法9条によって守られているのです』ですな。

悪いのはいつも日本なのか、日本が戦争起こさなかったらアジアは平和なのか。日本にミサイルを打ち込んだり、工作船を送り込んでいる国からも憲法9条で国民を守れるのか、また隣の大国は日本人の血税年間1,000億円をODA(政府開発援助)と言う名で軍備に使っている。こんなことも知らずに憲法9条を教えるとは知識不足も甚だしい。
知っていながら先ほどの台詞が出ているならただのマルクス主義の亡者である。
はっきり言って、世の勤労者の中で一番勉強不足なのは日教組の教師、そして政治屋だ。
彼等は新しいことを学ぼうともせず、毎日毎日毎年毎年同じことの繰り返し、
政治屋のことは、大地主のお真紀さんが鈴木田吾作にあえなく敗退、野中代官が復活し、古賀越後屋と組んでまた活躍しそうで、このまま書き続けると来年までかかりそうだからひとまず今回は見送る。
マルクス史観で社会科を教えるには新しい知識は全く必要ない、いわゆる55年体制の物差しでやればいいだけの話だ。しかし、これだけ世の中の動きが急であるのにいつまでもそんなものが通用するはずはないのである。
娘の話を聞くにつけ、日教組のバカ教師どもは未だにベルリンの壁の崩壊も知らず、ソ連は健在と信じているとしか考えられないのである。
こんな大バカやローたちに教えられ、ヨーロッパは自由、平等、博愛とひたすら信じ、そのイメージを追ってのこのこ出かけていく若い人たちが実に不憫なのである。
白人たちのDNAが変化しているとは到底思えない、にもかかわらず
まだまだ日本人の多くがヨーロッパに対してのある種の幻想を持っている事は事実であろう。でも、相手は決して我々を対等の人間とは思っていないのである。
これを認識せずしてヨーロッパに行くのはあまりにも無防備、心に弾丸をくらうこと間違いなしだ。
どうかこのことゆめゆめお忘れなきよう。


まだアントワープにも着いてないのにもう出張レポートは終わりに近づいている、
このあとどうなったか、って。
やっぱりもうちょっと書かんとアカンね。

激しい世の変化にもかかわらず、ほとんど変わらないのがS,
そういう意味でこいつだけはホンマに安心できる、いつ会ってもいつもと同じ。

キリンのラガーみたいなもんやけど、あんなに苦味はないし、シブサにも欠ける。
41歳、いまだ独身。
ガールフレンドもいるし、時々日本人の女の子とよろしくやってるから決してホモではない。ガールフレンドとはあまりシリアスになれず、本人がその気になったときには相手にかわされ、タイミングが悪かっただけである。
誰か立候補しまへんか、Sの嫁はんに。
Sと会って早速トラブルについて説明し、私が列車の中で支払ったお金をKLMから返却させるよう依頼。31ユーロであるが、これは金額の多寡の問題ではない、
コケにされ黙ってられない、たとえ10円でも我慢ならない。
つい3、4日前Sから返事がきた、KLMは支払いに同意。
ほんの少し溜飲を下げる。
Sは友人であるから私が頼めば直ぐ動いてくれる。でも、実際白人を動かすのは面倒なことだ。具体的にどうやるか、少しわかった気がする。
彼等はダイレクトに『君は・・・』と非難されると猛反発する。ところが一般的な表現、
例えば、『ヨーロッパ人は・・』とか『白人は・・』とか言ってやると、いや俺は違う、
そんなやつらばかりではない、少なくとも俺はそんなんじゃない・・試してみてくれ・・、となる。それをうまく利用するわけだ。
まあ、それにうまく引っかかる単純なやつばかりでもないだろうけど。

さて、N氏、いろいろありがとう。
いまごろどうしてるか、これを読むことはあまり考えられないけど、なんかの拍子、ということもあり得る。御礼の代りにここで褒めておこう。
YoungGenerationをまとめて『今の若い者は・・・』などと言ってはいけないことは前からわかっていたけど、彼はホントいい若者だった。私よりも一回り以上年下であるにもかかわらずしっかりしてるし、礼儀、言葉使いなども常識をわきまえていた。
そして、なによりも服装のセンスを褒めた時『そのへんにあるものをひっかけて・・・』などとは言わなかったのがよかった。
『いや、こればっかり着てるんですよ』と言って笑っていた。
N氏の店は北新地のV、大阪の人行ってあげて下さい。

お疲れさん、次は3月3日からまた飛んでゆきます。



◆ Back Number ◆
2005.07 Cut & Polished in Belgium
2005.04 ルフトハンザで出国
2005.02 オリーブの漬物
2004.11 ベルギーの初冬
2004.9 上手なブラフの使い方?
2004.8 2004アジアカップ
2004.4 ゴールデンウィーク に オランダ を想う・・・。
2003.11 Believe me!
2003.7 Vacances!
2003.5 日本とベルギーの規範
2003.3 ベルギー名物と言えば
2002.9 空港のネーミングについて
2002.5 ワールドカップ
2002.3 ひな祭り
2002.2 ユーロとトラブル
2001.12 プリンセス雑感
2001.11 ニューヨークの思い出
2001.9 不景気とは
2001.7 女子テニスプレーヤーというのは宝石だらけで戦っている・・・。
2000.4 ファンシーカットの好みは各国でかなり違うようだ・・・。
2000.2 天然の物が相手になるがゆえのつらさ、というのが常にある。
1999.12 私はダイアモンド業界ではゴルフの世界の尾崎みたいなものだ、といって自己紹介することにしている・・・