今回のFancy Storyは、当店ブログUKI Dialyにおきまして2008年2月にアップしておりますものを修正、加筆したものです。

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   ひさかたの 天の香具山 このゆふべ
             霞たなびく 春立つらしも
              (柿本人麻呂)

春ですね、
春の麗らかさに誘われるように水蒸気が立ちこめ、
遠くの風景が霞む、
ぼんやりとした柔らかい陽の光を体に感じつつ、
春の色を探す午後のひとときです。

本格的な春の訪れを告げるかのような雨音、
皆さんはどのような気持ちでお聞きになったことでしょうか。

古代中国で考案された季節の表現に“二十四節気、七十二候”がありますね、1年を15日ごと24に区切って移り変わる四季を表したものが二十四節気、それをさらに5日ごとに細かく分けたのが“七十二候”です。この七十二候の方は何度も日本の風土に合わせて改定されまして、現在のものは江戸時代に幕府の暦学者によって定められたものであるとか。

この“二十四節気・七十二候”は「立春」から始まり、その後に「草木萌動(そうもくきざしうごく)」、「啓蟄」、「菜虫化蝶(なむしちょうとけす)」などを経まして「春分」に至ります。
そして、二十四節気「春分」から「清明」までの15日間は、
『雀始巣(すずめはじめてすくう)』
『桜始開(さくらはじめてひらく)』
『雷乃発声(らいすなわちこえをはっす)』
と呼ばれます。
僅かな漢字の中に、移りゆく自然の色と形、音を見事なまでに再現した表現力には感嘆するしかないですね。

   世の中に 絶えて桜の なかりせば
      春の心は のどけからまし (在原業平)

― この世に桜というものがなかったら、春を落ち着いてのどかに過ごせるのに・・・ ―

このような季節の感じ方は極めてカラーダイヤ的ですね、
今この時というような一期一会の心で見るダイヤの美しさというのも当然あっても不思議ではないし、美しいと思うものは時に淡く可憐であるように思います、カラーダイヤの色は明日になっても同じだと、全く変わらないと思いますか? そうではないように思います。

カラーダイヤの色の中に季節を見る、というようなことをウッキーは常々申しておりますけども、これはちょっとした二十四節気、七十二候のようなもので、少し気にするだけで随分とカラーダイヤの楽しみ方の範囲も広がるのではないかと思っております。

季節を見る・・
季節によってカラーダイヤの色が違って見える・・・
季節の変化とともにカラーダイヤの美しさはどんどんと変わってゆきます、
冬と比べて今、果たしてどのような色が綺麗に見えるのか、
皆さんは実際に色々と比較したことはございませんか?
単に良い色好きな色と微笑んで見ておられるのはもちろん大事なことですけども、何かちょっともったいないような気もします。
冬から早春の柔らかい光はグリーンやブルーの美しさをいっそう高めてくれるように思います。
不思議なことです、
それらはもともと派手ではない色ですから、柔らかい光にこそ反応するのでしょうか、
それとも冷たく冴えた大気をダイヤモンドが敏感に感じ取っているのでしょうか? グリーンダイヤやブルーダイヤの奥深いところですね。

そして、今、ピンクダイヤの季節になったように思います。
ピンクダイヤの中に一段と冴えた透明感と色艶が見える頃になったような気がします。これは、「清明」から約10日後の七十二候「虹始見(にじはじめてあらわる)」あたりが最高潮ではないでしょうか、天地が明るく清々しい空気に満ちあふれ、その光と色をピンクダイヤがとことん吸収しているように感じます。

季節とダイヤモンド、
どうか今まで以上に敏感になっていただけますようお願いします。

さて、二十四節気七十二候とカラーダイヤモンド、と来ますと、やはり女性に何か綺麗なものを着けてもらいたくなりますね。
そこで今日は、
“ジュエリー・ベスト・ドレッサー賞UKI版”
ということで、歴史上の人物でカラーダイヤの似合いそうな(カラーダイヤを付けさせたい)女性たちを選んでみました。
選ばれた女性たちとともに副賞のカラーダイヤの数々にもご注目ください。


最初の受賞者は〜
松井須磨子、
20世紀初頭の人気女優でございます。
写真が残っておりますが、鼻筋通った一重まぶた、江戸時代なら間違いなく浮世絵のモデルになったであろう典型的日本美人ですな。
長野県生まれの須磨子嬢、
17歳の春に上京して親戚の世話で最初の結婚をしますが1年で離婚。
4年後、俳優養成所勤務の前澤誠助と再婚するも、演劇研究所第1期生となったことで演劇にのめり込む余り家事をおろそかにするようになり、前澤は彼女に愛想を尽かして離婚。
その後、『人形の家』の主人公ノラを演じて認めらると、島村抱月と芸術座を旗揚げし、『復活』(トルストイ原作、島村訳)のカチューシャ役が大当たりし、人気女優となりました。
彼女が歌った主題歌『カチューシャの唄』(島村作詞・中山晋平作曲)のレコードが2万枚の売り上げというのですから凄いね、100年前でっせ、蓄音機?か何か知らんけども、とにかくレコードプレーヤー持ってた人が全員買った?!

しかし、あとに続く『今度生まれたら』(北原白秋作詞)では、歌詞が当局より猥褻扱いされ、日本における発禁レコード第1号ともなってしまったそうで。
そして1918年、公私共にかけがえのないパートナーであった島村が病死すると、2ヶ月後に後を追って命を絶ったそうですな(享年34)、
ざ、残念・・
こんな大女優とは知らなかったですが、須磨子さんは後に何度も映画やドラマで復活しております。田中絹代、山田五十鈴、栗原小巻、名取裕子、松坂慶子など錚々たるベッピンさん方によって演じられているようです。
というところで、
奔放に紅く輝いた彼女に・・・
もうこれしかない! という感じで、
Fancy Intense Purplish Pink 0.5crtのオーバルを副賞として差し上げます。
両サイドに淡いブルーのメレを入れまして指輪に加工いたしました。
須磨子さんの白魚のような左手中指にとってもよく似合うに違いありません。



江戸時代からの受賞者はこの人、
数奇な運命に弄ばれながらも、女の意地を貫いたお方、
和宮。

仁孝天皇の皇女として生まれ、孝明天皇を兄に持つ和宮、
動乱の幕末維新に生きた彼女は、皇女が武家に降嫁し関東下向した歴史上唯一のお方として知られております。

内憂外患、尊王攘夷と倒幕運動、この難局を打開するためには「公武合体」しかないと考えた幕府は十四代将軍家茂の正妻として和宮の降嫁を画策します。しかし、年内に有栖川宮家へ嫁ぐことが決まっていた和宮、しかも相手は江戸にいると聞かされて激しく拒否。そりゃそうでありましょう、許婚者の有栖川親王は後に徳川追討の官軍総司令官となったような颯爽としたお方、婚約期間中の甘い気分を吹き飛ばす大型台風のような幕府の横暴、しかも降嫁する江戸は‘のぞみ’で2時間の距離じゃない、ああ〜
彼女にとってはまさに‘ひかり’も‘のぞみ’も消えうせたような仕打ち、
ウッキーのおやじギャクにもああ〜、やな・・・

孝明帝も妹を思いやり、この婚儀には反対の旨を幕府に伝えたのありました。
しかし、幕府は諦めず何度も圧力かけてくる。
帝は『仕方がない。それでは去年生まれた娘、壽萬宮を江戸へ送ろう。 嬰児では困ると幕府がいうなら、退位しょう』と決意、その旨を臣下に伝えたのでありましたが、
『一人娘のことゆえ少々寂しくはあるが・・』という帝の御心を伝え聞いた和宮、衝撃のあまり言葉を無くすのでありました。『私が我(が)を張り続けているために、帝と幼い宮のふたりが辛い目に遭う』・・・
そしてついに、和宮は江戸に下ることを承知したのでありました。

落 ち て 行 く  身 を 知 り な が ら  紅 葉 ば の
     人 な つ か し く    こ が れ こ そ す れ

有栖川熾仁親王との別れに際し詠んだ歌とのこと。

文久2年(1862年) 2月11日、江戸城内で将軍家茂と和宮の祝言が盛大に執り行われました。 ときに家茂、和宮共に16歳。
和宮にとって幸運だったのは、家茂が眉目凛々しく、気品を備え、初々しい、思いやりのある青年であったこと。
家茂は和宮を愛し、和宮も家茂によく仕えたと伝えられております。

勝海舟が語った『海舟余話』には次のような記述があります。
『和宮が入らした初めは、みんな閉息して窺っていたのさ。すると或る時、浜御殿へ天璋院と、将軍と和宮と三人で居らしたが、踏石の上にどう云ふものか、天璋院と和宮の草履をあげて、将軍のだけ下に置いてあったよ。天璋院は先に降りられたがネー、和宮はこれを見て、ポンと飛んで降りて、自分のを除けて将軍のを上げて、辞儀なすって、それでヒタと静まったよ。』

現代語訳が要りそうな口語文ですけども、和宮の気持ちがよく伝わってきますね。
ちなみに文中の天璋院というお方、皆さまはお気付きでしょうか?
13代将軍・家定の御台所(正室)、NHK大河ドラマ“篤姫”の後の姿でございます。14代家茂は天璋院の実子ではありませんが、形として篤姫と和宮は嫁姑の関係なんですね。

海舟が証言するように、家茂&和宮はホントほのぼのとする微笑ましいカップル、しかしながら二人の幸せはたったの4年で終わってしまうのでした。家茂が長州征伐に自ら出陣の途中、大坂城で病死・・・享年21。

若くして未亡人になってしまった和宮、
しかし、彼女がその真価を発揮するのはこれ以降なんですね。
時移り、ついに徳川も終焉、
官軍の前になすすべなく敗れた15代慶喜と旗本幕臣たち。
和宮は、慶喜とその臣下の助命を朝廷に嘆願するとともに、徳川の家名存続に尽力されたんですな。
皇女に生まれながら、最後は朝敵・徳川の一員として、武家の女として生涯を終えた和宮。
なんという運命なんでしょうね・・・
彼女にはやはりブルーダイヤ、
キリリとした刃のような輝き、
0.3crt Fancy Blueのマーキースを副賞にお贈りいたします。
懐剣の刃に留めてくださいませ。



続きまして〜戦国時代からは、
出雲阿国でございます。

戦国時代は戦争ばっかりと思うかもしれませんが、そんなことはございませんね。ウッキーのようなアホな男どもが一番憧れる時代であるだけに、賑やかで活気のある時代であるとともに、多くの技術革新がもたらされた時代でもあります。
そして忘れてはいけないのが、茶道、華道、香道など数々の文化が生まれ発達したという事実。

出雲阿国はそのような戦国末期に生まれ、この時代の躍動感をVividに斬新な感覚で表現した偉大なエンターテイナーと言えます。出雲大社のベッピン巫女さんであった彼女がどのように華麗な転身を成功させたのかイマイチ定かではございませんが、能・狂言の伝統をふまえて彼女が始めた“かぶき踊り”は京の都びとたちに大受け大評判となり、後にこの形が江戸時代の歌舞伎へと発展するのですね。


阿国「かぶき」は後の歌舞伎とは違い、お囃子・三味線などの伴奏はなく、ただ笛・太鼓に合わせて阿国が踊るだけのもの。しかし、彼女のオリジナリティーは、単に踊りを披露したのではなく、この画像の通り『武家』の扮装、つまり女の阿国が男装をして、茶屋の女と戯れる様子を「演じ」て見せたというところにあるのです。これが、当時の都びとから「傾く」(かぶく=常識離れしている、突拍子もない)女として大好評を得、「かぶく・かぶき」と固有名詞を貰うようになったというわけです。
するってぇと・・・これは歌舞伎のオリジナルというよりも、一足飛びに宝塚の世界ですね。スタイル抜群、男装長身のトップスターが剣を下げて歌い踊る、まさにあの宝塚歌劇が戦国末期に存在していたというわけです。
そして皆さん、お気づきになられましたでしょうか?


彼女の左手の下、帯の少し上あたりにぶら下がっているもの、これはどう見ても首からチェーンで下げている“クロス”!!

いやはや驚きですね、侍の格好と同じくらいに刺激的です。
当時はまだキリスト教が禁じられてはおりませんでしたから、彼女のクロスも軽いノリだったのかもしれませんけども、とことんハチャメチャな装いがクロスによって何かバサラ(常識はずれ)なりに纏まりがあるように感じてしまいますから不思議なことです。意図したものか、はたまた偶然なのか、彼女に聞いてみたいですねえ〜
こんな阿国さんには、やはりヴィヴィド、
Fancy Vivid Pinkのペアシェイプをお贈りしましょう、クロスとともに是非ともペンダントとして首から下げてもらいたいと思います。


時代をどんどん遡り、
平安時代からはこの人、
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
更級日記の作者です。
しかしまあ、彼女は菅原孝標の次女でして長女もいるのに区別できる名前もないのかと怒り感じる女性も多いかと思いますが、これが平安時代の奥ゆかしいところ。女性のファーストネームを気軽に呼べるのは両親と夫だけだったのですね。
さて彼女、学問の神様である菅原道真をご先祖様に持ち、母方の伯母に蜻蛉日記の作者である藤原道綱母がいるということですから、感性と文才はやはり天賦のものでしょうね。
更級日記は、父・孝標の国府としての任地である東国・上総(現在の千葉県)で生まれ育った筆者が13歳の時(寛仁4年、1020年)、一族郎党とともに帰京するところからの起筆。しかし、本格的な執筆は晩年のことのようですね。夫を亡くし、子供たちが巣立った後の孤独な中で自身の人生を眺め返したものであり、そういう意味から日記というよりも回想録と呼ばれる作品。

しかし、源氏物語に相当はまりこんでいたという彼女の文章は、硬い回想録というよりも平明な優しい文体であり、枕草子を思い起こさせるようなエッセイ風ありで、物語世界への憧憬に過ごした少女時代の彼女の夢の中に我々をも誘われるかのようです。

本文を少し現代語訳でお楽しみください。
「富士の山はこの国(駿河)にある。私が生まれ育った上総の国では西に見えた山だ。その山のさまは、まったく世の中に比類ない。他の山とは異なった姿で、紺青を塗ったようなのに雪が消える時もなく積もっているのは、濃い紺青色の衣の上に白いあこめを着たように見えて、山の頂の少し平らな所から、煙が立ちのぼっている。夕暮れには火が燃え立つのも見える。」

帰京する折に見た富士山。
紺青(こんじょう)と雪の白さと夕暮れの火。
際立つ活写でございますな。

そして憧れの源氏物語と接する日々の描写、
「どきどきしながら、今まで部分部分を僅かに見ながら筋もわからずもどかしく思っていた源氏物語を、初めから通しで、誰にも邪魔されないで一冊ずつ引き出して読む心地の素晴らしさは、皇后の位も比べ物にならない。昼は日のある間ずっと、夜は目が醒めているかぎり、灯を近くにともして、これを読むこと以外は何もしないで過ごしているので、わざと思い出そうとしなくても内容が頭に浮かんでくるのを、素晴らしいことだと思っていると、夢で、とても清らかな感じの僧で黄色の地の袈裟を来た人が来て『法華経の第五巻を早く習いなさい』と言われたけど習おうともせず、源氏物語のことだけしか考えずに、私は今はまだ器量がよくないけれど、年頃になったら顔だちも良くなり髪も長くなるに違いない。光源氏に愛された夕顔のようになるだろうと思ったが、そんな心が何をおいてもひどく虚しくなった。」

平成のティーンたちと何ら変わることのない1,000年前の少女の心模様、何と瑞々しい筆の運びでありましょうか、“后の位も何にかはせむ(皇后の位も比べ物にならない)”というのは凄い表現だと思います。
こういう彼女には、夢に誘う光の色、
Fancy Intense Yellowを、
シンプルな指輪にして。


平安時代からもうひとかた、しかし実在にあらず、源氏物語の登場人物よりの選出です、
源典侍(げんのないしのすけ)。

この方、典侍さん、お歳は50代も後半、しかしね、
な、なんと、二十歳ごろの“バリバリ行きまくり”であった光源氏とその友人の頭中将の両方と“アッハ〜ン”となってしまうのですね、凄〜〜い!
典侍さんは、和歌は上手いし楽器も巧みで声も良い、それらの特技が功を奏し見かけの婀娜っぽさと若つくりでもって二人の高貴な青年を文字通り捕らえてしまったのでした。
一度捕らえてしまうと青年たちはまるで掌の中で遊ばれているようなものですな、ウッキーは幸か不幸かそんな経験ないから想像しているだけですけどね、名女優も顔負けの演技にますます幻惑されて嵌まり込む光源氏・・・・
典侍さんの名演技を与謝野晶子の訳でお楽しみください。
『典侍は、
   君し来ば 手馴れの駒に 刈り飼はん 
       盛り過ぎたる 下葉なりとも
(来ていただいたらご馳走します、盛り過ぎた私を添えて)
 とても色気たっぷりな表情をして言う。
「あなたの所はさしさわりが多いから、うっかり行けない」
 こう言って、立って行こうとする源氏を、典侍は手で留めて、
 「私はこんなにまで煩悶をしたことはありませんよ。すぐ捨てられてしまうような恋をして一生の恥をここでかくのです」
・・・・典侍はそこの一室で琵琶を上手に弾いていた。清涼殿の音楽の御遊びの時、ほかは皆男の殿上役人の中へも加えられて琵琶の役をするほどの名手であったから、それが恋に悩みながら弾く絃の音には源氏の心を打つものがあった・・・・美声ではなやかに歌っている・・・白楽天が聞いたという鄂州の女の琵琶もこうした妙味があったのであろうと源氏は聞いていた・・』

しかしまあ、典侍さんの計算づくの‘したたかさ’は凄〜い、色艶ある視線を送りながらも『盛りを過ぎた・・・』と言ったりする。俵万智は“彼女はこの時代の『文明の高さ』を証明してくれているようだ”と述べておりますが、逆に、うす汚い二十歳前後の女が多い現代日本は“文明の低さ”を見せつけておりますね。

というところで典侍さんには副賞としまして、
Fancy Yellow Greenの1crtのラウンドをネックレスに加工したものを。
容色衰えたと言えども、まだまだ玉の肌? 白い胸に映えそう!


そして最後、古代からは、
持統天皇が選ばれました。

   春過ぎて 夏来にけらし 白たえの
          衣ほすてふ 天のかぐ山

どなたもご存知の有名な一首です。
持統天皇が見た白い布地、これは香具山で洗濯物を干している、という歌ではないそうですね。白い布をより白く見せるための紫外線漂白、すなわち「晒(さら)し」作業の光景だそうです。
材質の良くない物を使用していた古代ですから、真夏に白いものを干したら、繊維の劣化と黄ばみが発生してしまうとか。しかし、ある程度の日差しがないと晒しても意味がない。一番良いのが初夏、今で言うならば5月初旬。
宮中にいると夏が来たとはハッキリと分からないけれども、白たえの衣の晒しが始まったことにより、夏が来たらしいと推測できる、ああ、初夏なんだ、晒しに適した季節になったのだ・・・そういう絶妙のタイミングと臨場感を見事に表現したのがこの歌なんですねえ、
あ〜感動!

ところで、持統天皇はどうして宮中から遠くの香具山の白が気になったのか?
この時、彼女自身の指にしていたのはDカラーVVS1の1crt、しかしイマイチ冴えがない、これは一体どういうことかと思って、ふと窓から天の香具山を見ると白い布地がキラキラと輝いていた・・・というわけですな。
『やっぱり私もウッキーのお店で色つきの金剛石買おうかしら・・・
  特撰淡麗桃色がいいわ』
と言ったとか言わなかったとか〜

しかし、1,000年経ても皆に愛される素晴らしい歌を詠んだ人並みはずれて感性の鋭いお方、もし現代にいらっしゃったらカラーダイヤの美しさにはとことんお嵌りになったに違いないですね。そういう彼女は、淡い色が似合いそうです。
Fancy Light Pinkのペアシェイプをお贈りいたしましょう。



如何でございましたでしょうか、
Fancyというのは、感じるからFancyなのでして、
感じなかったらただの色、単なる鉱物、
カラーダイヤと見えるか、それとも色付きの鉱物と思うか、
それは100%あなた次第ですね。
春を迎え綺麗に見えるのは女性とカラーダイヤ、
常にその視点をお忘れなく!
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◆ Back Number ◆
第20話 UKIカラーで綴った枕草子
第19話 古今和歌集ダイヤモンド語訳
第18話 2006W杯 × Fancy Color
第17話 That's Baseball
第16話 トリノの余韻
第15話 “The Aurora butterfly of Pease”
第14話 Fancy June ...
第13話 ウッキー夜話
第12話 『春のダイヤ人気番付』
第11話 2003年 南船場の秋
第10話 「白シャツ」と「白ダイヤ」にご注意。
第9話 初詣
第8話
第7話 日本の色
第6話 オリンピック随想
第5話 お正月に想う
第4話 ブルーダイヤ、高価とは聞いておられるでしょうがどれほど高価なのか・・・
第3話 同じ赤でもピンクダイアとルビーではかなり色に違いがあります・・・
第2話 新しい「誕生ダイアモンド」なるものを設定・・・!!
第1話 『fantasy』で『fantastic』な『fancy world』へ御案内。